2007年12月31日

議員・町長・教育長等の報道批判!?!?!

平成18年12月定例会の一般質問において、昨今の小中高の児童、生徒の自殺に関して、私自身の大きな嘆きの気持と今後の対策の必要性と、地域社会がしっかりとした認識をこれらの事件を寅経てほしいとの願いを込めての私の教育長への質問の再質問の中に、

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「児童、生徒の自殺で、ことさら学校の管理監督責任が問われますが、これらの自殺事件のテレビの報道のあり方には、あまりにもかたよった報道がなされすぎていると、テレビ報道に対する嫌悪感さえ感じることがあります。

何が何でも学校を悪者に仕立て上げ、自殺者遺族を被害者として、善と悪の対峙する場面をテレビで放映することが、テレビ報道の定番でもあるかのように、必ずと言っていいほど

『お子さんをなくされ学校をどう思いますか?学校の対応に対してどう感じていますか?

などと、遺族が被害者であり、悪いのは、学校だと言わんばかりの報道陣のあり方に、首をかしげ、不快感を訴える人は、大勢います。私がこのような自殺報道の話題において、テレビ報道のあり方を良いと言った人は、現段階では1人もいませんでした。

さて長々と、意見を申し上げたようですが、そこで教育長にお尋ねしますが、このいじめをした児童、生徒に課する処罰することについての是非についてどの様にお考えか?

また、いま申し上げたようなテレビ報道のあり方に、1人の人間としてのご意見でも結構ですが、どの様にお感じになっているか、お聞かせいただきたいと思います。」

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との質問を教育長に向けました。

そして教育長の答弁として、

「報道について同考えるかということですが、報道の仕方も川村議員がおっしゃる様に、学校の対応が悪いからそういういじめがあってはならない、子供の命まで自ら断ったという報道の仕方は、さらりと事実を流していただいて、そのためどう学校は対応したのかということを克明に報道するやり方で無いと、群発自殺という、いわゆるそれを模倣してやっていくようなものはなくなっていかない、かえって多くなるのではないか?

報道は、できるだけ事実はさらりと流して、その対応、、それをどう食い止めようとして、あるいは日常どうやっているのかという防ぐ方の事を克明に報道するようなやり方になってほしいと願っています。」

このような内容であったと思いますが、この答弁について、教育長が報道を批判した、それが悪かったといわんばかりの反応を示される議員か数名いらっしゃいました。

これは、私がした質問に対しての教育長の答弁でありますが、その答弁の仕方について、疑問を持ったり賛同したりすることは、議員としては当然のことでありますが、「教育長が報道を批判した」との表現を使い、教育長が報道を批判する事が悪いことであるかのような表現をされることに、私は、大きな疑問を持ってしまうのであります。

いま、申し上げたような答弁が、果たして報道を批判したことになるのか?ということと、そんなに報道を批判するのが悪いことなのか、それともこわいこととでも思っているのか?

私は明らかに、いままでような児童、生徒の自殺についての取り上げたかは、報道の公平性を大きく逸脱した、興味本位、利益主義の露呈した結果ではないかとさえ感じています。

番組制作に欠かせないスポンサーの喜ぶ視聴率を上げるためなら、見る側が喜ぶことを際限なく放映する姿勢、たとえば、お笑い番組においては、“いじめ”は楽しいものとして放映されているではありませんか?それを批判さえしない、同じテレビ局の人間が、いじめをきずかなかった学校VS自殺を察知できなかった家族的な対立構造を作り上げているような報道のあり方に、問題があると私は嘆いているのです。

報道批判が悪いとする議員さんは、私と同じような気持は何も持たないのでしっょうか?
そのことのほうが、私にはとても、つらく、残念なことなのです。

地域の子供達の事を、もっと身近に感じて、見ていてほしいとつくづく思います。

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